領域
公共
職位
准教授
専門
歴史社会学
精神医療史
担当科目
公共論II/公共論CB
応用講読演習II/公共講読演習CB
プロジェクト予備演習III(公共)
プロジェクト演習(公共)
業績
※21年度以降の最新情報は、下記にリンクされている研究者学術情報データベースをご参照ください。
公共
准教授
歴史社会学
精神医療史
公共論II/公共論CB
応用講読演習II/公共講読演習CB
プロジェクト予備演習III(公共)
プロジェクト演習(公共)
※21年度以降の最新情報は、下記にリンクされている研究者学術情報データベースをご参照ください。
2020年2月26日(水)14:00~17:00(開場13:45)
立命館大学衣笠キャンパス創思館401・402
立命館大学衣笠キャンパスマップ(30番の建物)
小西真理子(大阪大学)
親密な関係を求める事がない人や、「普通」ではない性的嗜好を持つ人を、病気や異常者としてみなす傾向は未だに日本社会には存在する。だが逆に、セクシュアリティが生殖の意味だけのものであった時代はごく限られているともいいうる。日本社会においても「変態」は常に存在し、それに意味を付加していくために、性科学や精神分析が輸入され発展していったと言ってもよい(『変態性欲論』)。そうした文脈から、一部では肉体よりも精神を重視するロジックも強まり、婚前セックスや同性愛が公共的空間で共有されていく背景には、「当人同士が愛し合っていればよい」という「愛」やコミュニケーションにもとづいた関係性重視の傾向も浮上してくる。「性欲とは異なる性」としてのセクシュアリティが、人格やアイデンティティの中核にある人間的要素のバリエーションの一つとして出てくる事もある。すると、「正常」なセクシュアリティから逸脱したものは性的サディズムや性的欲求低下障害として、治療対象にされてしまうという状況も作り出される。そこから、「正常」とされるセクシュアリティに付随している性規範を、ケア、性的嗜好における嗜虐的性向(BDSM)、親密性を中心に批判的に検討していく必然性が生じる。
今回の研究会では、そうした批判的検討の一環として、BDSMを事例に小西真理子氏からご報告いただき、議論していく事にしたい。
趣旨説明
長島史織(先端研院生)
招聘講師の講演
小西真理子(大阪大学)
院生の発表&ディスカッション
長島史織 (先端研院生)
欧陽珊珊(先端研院生)
コメント
酒井麻衣子(立命館大学文学部初任研究員)
・ご講演については、小西真理子『共依存の倫理』(2017年、晃洋書房)に事前にお目通しいただくと、より理解が深まるかと思います。
※クリックでPDFファイルダウンロード
日時 | 2019年1月27日(日) 15時~18時(開場14時半) |
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場所 | 立命館大学衣笠キャンパス:アクセスはこちら 創思館1階カンファレンスホール:キャンパスマップはこちら |
参加無料・事前申込不要 | |
プログラム
第一部 |
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主催 | 立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会 お問い合わせ:gr0263px [at]ed.ritsumei.ac.jp ([at]をアットマークに変えてください) ※ 当日の会場で配慮やサポートを必要とされる方は、開催の3日前までにメールでご相談ください。 |
日時 | 2020年2月21日(金) 15時~18時 |
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場所 | 立命館大学衣笠キャンパス:アクセスはこちら 図書館カンファレンスホール:キャンパスマップはこちら |
参加無料・事前申込不要 | |
プログラム
15:00 開会挨拶 |
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主催 | 立命館大学大学院先端総合学術研究科パートナーシップ委員会 お問い合わせ:gr0371ri[at]ed.ritsumei.ac.jp (欧陽) ([at]をアットマークに変えてください) ※ 当日の会場で配慮やサポートを必要とされる方は、開催の3日前までにメールでご相談ください。 |
原塁(京都大学大学院)「武満徹の後期創作におけるイメージとかたち」
本発表は、武満徹(1930-1996)が作曲したピアノ独奏曲《雨の樹 素描》(1982)について、イメージと「かたち」という観点から考察する。まず、1980年以降の武満のナラティブに、夢の情景や庭の図面といった特定の具体的なイメージを創作の出発点に据える態度が広く認められることを確認する。次に《雨の樹 素描》の構造を分析し、シンメトリーに基づく秩序立った構成を指摘する。その上で、本発表では作品の出発点にある「雨の樹」というイメージについて検討する。「雨の樹」というテーマは、大江健三郎の小説に由来するが、大江と武満の交わりを同時代の日本の社会・文化的背景を踏まえることで、この語が喚起するイメージの内実が明らかにされる。以上の考察をもとに楽曲分析によって明らかになった《雨の樹 素描》の「かたち」と出発点にある「雨の樹」のイメージとの関係性を詳らかにする。
荒木真歩(神戸大学大学院)「民俗芸能における正統性の獲得――記録映像を用いた習得に着目して」
本発表は日本の民俗芸能の伝承で過去の記録映像を使用する際に、演者が記録映像のいかなる要素に注目し、芸態の正統性を獲得し習得するのか、その実践を捉えることを目的としている。日本各地の集落に伝わる民俗芸能は、都市化や少子高齢化により集落の人口が少なくなり継承の問題を抱えている。本事例で扱う篠原踊りはその一つであり、問題解決のために集落外の人々も演者として参与し、過去に撮影された記録映像を見ながら歌や踊りを習得するよう新たな習得方法へと舵を切った。
記録映像を使い始めると演者たちは自身と関係の強い演者に焦点を当ててそれを真似るよう習得する様子が見られた。しかし次第に新たに参与した演者を中心に、映っている演者個人に焦点を当てるのではなく、自身が上手と判断した演者たちの芸態を部分的に参照しそれを習得するようになった。
これは新たな習得状況の中で再文脈化された映像の見方であり、これまでの演者との社会関係を繋ぎ留めつつ、新たな芸態の正統性を獲得し伝承する実践を詳細に考察する。
西澤忠志(立命館大学大学院)「明治30、40年代の音楽鑑賞論の展開と問題意識――小松耕輔の音楽評論から」
本発表は音楽家、小松耕輔の音楽鑑賞に関する評論を通して、音楽そのものの聴取を重視した音楽鑑賞がどのような問題意識から現れたのかを提示する。明治30年代以降、日本の、特に東京で西洋音楽が演奏される機会が増え、その中で西洋音楽は聴く対象として見なされ始める。それとともに、学生を中心とする聴取層が形成された。こうした西洋音楽をめぐる環境の変化の中で、西洋音楽をどう聴くべきかを論じた評論が現れた。この西洋音楽の鑑賞に関する評論に共通する特徴は、音楽に付随するテキストではなく、音楽そのものを聴き取ることで、その曲の「精神」を感受することを重視した点にある。こうした聴取態度がどのような問題意識から現れたのかという点を、同時期に音楽雑誌や新聞を通じて音楽の聴き方に関する評論を発表した音楽家、小松耕輔の評論から明らかにする。これにより、「精神性」を重視する音楽鑑賞が持った思想的背景の一端を提示することを目的とする。
中辻柚珠(京都大学大学院)「プラハ・モダニズム研究史」
ヨーロッパ・モダニズムの歴史の中に、プラハのモダニズムはどう位置づくのか。プラハ・モダニズム史は、長い共産主義・社会主義時代の間に研究が滞り、また言語的問題から、日本は勿論、英語圏でも十分に認知されてこなかった。とりわけ、ヨーロッパ・モダニズム史全体におけるプラハの位置づけとなると、殆どのことが知られていない。しかし、当然ながら、知られていないことと価値のないことは全く別次元の問題である。その歴史は、プラハのみで完結しえない、ヨーロッパ全域での国際的なモダニズム運動のネットワークの中に位置づくであろう。本報告では、1895年のチェコ・モダニズム宣言を始点に、主として造形芸術の分野に焦点を当てながら、プラハ・モダニズムの歴史およびその研究史を概観したい。また、その研究史を、報告者の専門であるナショナリズム史の分野に照らし合わせたとき、いかなる論点が浮かび上がるかについても論じたい。
奥坊由起子(立命館大学大学院)「1920年代イングランドの音楽におけるナショナル・アイデンティティとモダニティ」
20世紀初頭のイングランドは長らく続いていた外国音楽の強い影響に反発して、自国の音楽諸活動が興隆する音楽復興期を迎えた。この時期に作曲家たちは、それぞれの音楽作品のなかでナショナル・アイデンティティを表現しようと模索したのである。イングランド音楽およびその音楽生活は、そうしたアイデンティティ表出への嗜好とモダニティへの抵抗を示すと考えられてきたが、特に1920年代においてモダニティへの嗜好をも示すと説明されてきた。本発表は、この一見すると矛盾している点に着目したい。1920年代のイングランド音楽において、ナショナル・アイデンティティとモダニティはどのように理解され、それらがイングランド音楽をどのように特徴づけ、そして両者がいかなる関係性にあったのか。本発表はこれらの問題に取り組み、音楽復興期に生じた音楽ムーヴメントも手がかりとしながら、1920年代におけるイングランド音楽を改めて解釈することを目的とする。
加納遥香(一橋大学大学院)「社会主義ベトナムにおける革命と音楽――ベトナム・オペラ《コー・サオ》に着目して」
北ベトナムを領土とし、社会主義体制を採用するベトナム民主共和国(1954~)においてつくられた音楽劇《コー・サオ》(1965)は、ベトナムの作曲家によりヨーロッパ発祥のオペラ形式に基づいて創作された初めての「ベトナム・オペラ」作品である。
一党独裁体制下の同国において共産主義者らは文化領域における「革命」を提唱し、その論理の下でオペラが受容され、《コー・サオ》が誕生した。脚本・音楽を手掛けた音楽家協会の書記長で作曲家のドー・ニュアンはベトナムの民間音楽や歌曲をとりいれながら、1940年代のベトナム西北地方を舞台とした独立革命の物語を描き出した。同作品はベトナム戦争が本格化する1965年に建国20周年を記念して国立のオペラ団により初演された。
本発表では国内外の情勢、オペラをめぐる音楽文化の形成、《コー・サオ》の表象・上演状況を「革命」を軸に読み解き、社会主義ベトナムにおいて革命と音楽が織りなす様相を明らかにする。
松本理沙(京都大学大学院)「アクティヴィズム・アートにおける表象と行動――1980年代アメリカを例に」
本発表は、1980年代にアメリカで隆盛したアクティヴィズム・アートにおけるコミュニティ/公衆の表象について考察するものである。スザンヌ・レイシーやニナ・フェリシンが指摘する通り、アクティヴィズム・アートの特徴はエイズやレイシズムといった社会問題を扱う点にある。彼らは社会への直接的な行動を志向するが、その象徴としてアートワールド外に存在するマイノリティのコミュニティや公衆を作品に取り込んでいく。結果としてコミュニティ/公衆はアクティヴィズム・アートにおいて様々な形で表象されることとなる。本発表はこのコミュニティ/公衆表象の例としてニューヨークで活動した芸術集団グループ・マテリアルを取り上げる。まず、彼らの活動を三つの時期に区分し、それぞれの時期におけるコミュニティ/公衆の表象を示す。次に三つの区分における表象の変遷を詳らかにしていく。それによって、グループ・マテリアルにおけるコミュニティ/公衆とアクティヴィズム・アート自体が有する構造との関係が浮かび上がるだろう。
田邉健太郎(立命館大学)「映画音楽,物語空間,虚構の語り手」
本講演では,「物語(narrative)」概念を手がかりとして,映画に関する基礎的問題を考えたい。併せて,分析美学と音楽学(映画音楽研究)の接点を紹介し,今後どのような方向で共同研究が可能となるか,検討する。具体的には,以下の二つの話題を取りあげる。
(1)映画的語り手:
文学と同様,映画においても「語り手(映画的語り手(cinematic narrator))」の存在が議論されている。制作者とは別に,映像や音を通じて物語を伝える「語り手」がいると仮定するべきなのか,いるとしたらそれはどのような位置にあり,いかなる役割を果たしているのだろうか。分析美学における論争を概観する。
(2)映画音楽における「物語世界内/物語世界外」の区別:
映画の中の音源から発せられ,したがって登場人物も聞いていると考えられる「物語世界内(diegetic)」の音楽,観客だけが聞くことのできる「物語世界外(nondiegetic)」の音楽の区別は,映画音楽研究においてよく知られている。この区別に関連して,二人の論者を取りあげる。まず,物語世界外的音楽を,「映画的語り手」に帰属される事例と,「内在する制作者(implied filmmaker)」に帰属される事例に分類したジェロルド・レヴィンソン(Jerrold Levinson)の議論を紹介する。次に,あらゆる映画音楽は,コスチュームなどと同様に映画の物語の一部であり,したがって上記のような区別は成立しないとするベン・ウィンタース(Ben Winters)の議論を紹介する。
「物語」概念を軸に話を進めるが,そうした枠組みからこぼれ落ちてしまう側面や,ビデオゲームなど他のジャンルへの応用も,全体討議の際に議論したいと考えている。
先端研では、博士予備論文(修士論文に相当)・博士論文の構想発表会を行なっています。
構想発表会は、プロジェクト型教育・学際的研究を推進する先端研ならではの、多様な関心をもつ院生・教員・研究者らが集う貴重な機会です。ぜひこの場に参加して、先端研の魅力を体感してみてください。
7月の構想発表会では、オープン交流会、コーヒーブレーク、院生・修了生の著書紹介などを行ないます。多くの関係者と交流できるチャンスですので、積極的に活用してください。
コーヒーや冷たい飲み物をご提供します。
コーヒーブレイク会場の応接室にて、先端研独自の出版助成制度で刊行されたものなど、修了生・在学生の著作の展示を行います。
開催概要
日時 2020年2月13日(木)
会場 立命館大学 衣笠キャンパス 創思館カンファレンスルーム
-昼休-
-昼休-
講演スケジュール(予定)
-昼休-
※公聴会
2020年1月25日(土)14:00~17:30(予定)
立命館大学 創思館 カンファレンスルーム
立命館大学衣笠キャンパスマップ(30番の建物)
現在、AIが社会に取り入れられていく中で、AIと人間との関係をどう考えるのかが議論されている。その議論は、AIの進出により社会が効率化されるという楽観論から、人間の存在価値が低くなってしまうといった悲観論まで、数多くされている。
こうした議論の中で見逃されているのが、AIを駆動させているのは結局のところ人間であるということである。なぜ、そうしたことを確認しなければならないのか。それは、それまでの議論がAIとそれを受容する人間との関係にのみに注目していたからである。
そこでこのシンポジウムでは、AIと人間との関係性からより視点を広げ、AIを駆動する人間とそれを受容する人間の関係に注目する。
それによって、どのような点を展望として示すことができるだろうか。それはおそらく、駆動する人間と受容する人間における「人間性(ヒューマニティー)」というものの変化という点にあるだろう。では、それをAIによるどのような制作によって提示することができるだろうか。それは、芸術制作にあるだろう。なぜか。それは芸術制作が、基本的に人間によるものであることが前提とされているからである。
このシンポジウムでは、AIによる芸術制作が「人間性」というものを制作者や鑑賞者に再考をどのように促すものなのかを考えたい。
趣旨説明
西澤忠志(立命館大学大学院)
招聘講師の講演
中ザワヒデキ(美術家 人工知能美学芸術研究会)「人工知能が真に鑑賞し創作し、人間の美学と芸術が変貌する」
谷口忠大(立命館大学 情報理工学部教授)「記号創発ロボティクスによる人間と表象の理解」
ディスカッション
中ザワヒデキ
谷口忠大
司会・コメント 千葉雅也(立命館大学 先端総合学術研究科准教授)
2020年1月11日(土)13:00~17:30
立命館大学 衣笠キャンパス 創思館4F 403・404
立命館大学衣笠キャンパスマップ(30番の建物)
立命館大学大学院先端総合学術研究科
先端総合学術研究科の初代研究科長を務められた渡辺公三氏が一昨年の12月16日に68歳という若さでお亡くなりになりました。この間、早すぎる遺作となった『身体・歴史・人類学Ⅲ 批判的人類学のために』(言叢社)をはじめ、『(増補)闘うレヴィ=ストロース』(平凡社)、訳書として『人種と歴史』(みすず書房)、『仮面の道』(筑摩書房)、『われらみな食人種』(創元社)が刊行されております。
これを受けて、渡辺公三氏の学術的な業績とその意義について検討する目的で、先端研では来年1月11日(土)に「渡辺公三先生のご業績をふり返る会」を開催いたします。
講師として真島一郎先生(東京外国語大学)と小田亮先生(首都大学東京)にお話いただき、その後、修了生によるスピーチを予定しております。
終了後は会場内にて食事会を用意しております
・無料(懇親会のみ会費3000円/学生1000円)
13:00-13:20 開会挨拶 小泉義之(先端総合学術研究科研究科長)、松原洋子(本学副総長)
13:20-14:20 講演①
真島一郎「「闘い」の方法をたどる感性――渡辺公三訳『人種と歴史』刊行に寄せて」
14:20-14:40 休憩
14:40-15:40 講演②
小田亮「渡辺公三さんによるレヴィ・ストロース(仮)」
15:40-16:00 休憩
16:00-17:30 修了生によるスピーチ
17:30 閉会挨拶
18:00-20:00 立食パーティ(創思館401・402)
立命館大学先端総合学術研究科ライティング指導室
研究指導助手 sentan01@gmail.com
075-466-3026(直通)
世話人(田中壮泰・冨田敬大)
日時:2019年12月10日(火)16:20-17:50
場所:創思館1F カンファレンスルーム
コーディネーター:西成彦先生
スピーカー :岸政彦先生、千葉雅也先生
私たちが「書く」とき、そこで何が起きているのでしょうか。私たちが書いているこの言葉は、どこからやってくるのでしょう。私たちが書いているこの言葉は、はじめからどこかに存在していたのでしょうか。それともそれは、私たちによってゼロから作り出されたのでしょうか……。
先端研でフランス哲学を研究する千葉雅也が初めて書いた小説『デッドライン』が、このたび野間文芸新人賞を受賞しました。当研究科に所属する社会学者の岸政彦も、2017年に初めて書いた小説『ビニール傘』が芥川賞と三島賞の候補になり、また続いて書かれた小説『図書室』も三島賞の候補に選ばれました。
このたび、千葉雅也の野間文芸新人賞受賞を記念して、同じく当研究科の比較文学者である西成彦がコーディネーターとなり、「研究すること」と「創作すること」のはざまで表現活動をおこなってきた二人に、そもそも「書く」ということはどういうことかについて、自由に語ってもらいます。
1.背景・目的・現時点でのプログラム
このワークショップは 2017 年からライプチヒ大学と立命館大学の間で行われている交流プロジェクト「PaJaKo」の一環として企画しています。これまでも、立命館大学とライプチヒで毎年1回ずつ交流のスケジュールに合わせてワークショップを開きました(これまでのワークショップについては、https:// home.uni-leipzig.de/jgames/de/blog/portfolio/japans-videogames-between-the-local-and-the- global/?id=347を参照)。
今回はライプチヒから交流プロジェクトできているコンスタンティン ・フライべ氏の滞在期間また大学院ウィークに合わせ、11 月 18 日(月曜日)の午後に先端研の学生を中心にワークショップを開きます。
2.日時 2019年11月18日(月)13:00-18:00
3.場所 創思館4階 401・402教室
4.プログラム(11月5日現在)
13:00-13:10: Martin Roth
Introduction
13:10-13:40: Kyohei Itō(伊藤京平)
Competition or Cooperation: A Case Study on Game Playing Workshop in Leipzig
13:40-14:10: Yasuo Kawasaki(川崎寧生)
A Study about the Selection of Major Japanese Arcade Video Game Titles -Focused on Ranking Charts on Japanese Game Center Industry Magazine-(”アーケードビデオゲーム機の主要タイトル選定に関する試考―業界専門誌のランキング記事を中心に―”)
14:10-14:30:Break(休憩)
14:30-15:00: Taeko Edaki(枝木妙子)
Japanese modern clothes during the early Taisho Showa period
15:00-15:30: Luca Bruno
The Impossible Subcultural World: Intimacy, Possible World Theory and Accessibility in Character Intimacy Games Culture
15:30-15:50: Break(休憩)
15:50-16:20: Konstantin Freybe
Metal Gear Solid & Political Fiction. Of Mislead Scientists & Questions of Responsibility
16:20-16:50: Goki Atoyama(後山剛毅)
Tamiki Hara in Works by Yoko Ota
16:50-17:10: Break(休憩)
17:10-17:40: Matteo Fabbretti
Changing norms in the localisation of Japanese videogames
17:40-18:10: Shunsuke Mukae(向江駿佑)
Interfaces Inside Gaming World: Mirror, Well and Hole”
Drinks and Discussion(懇親会)