メッセージ 小泉義之 教授・研究科長(2009~2011年度)

― 背負ったものを賭けるに値する研究 ―

研究科長 小泉 義之
本研究科は2003年4月に発足して以来、数多くの院生を迎えてきました。これは本研究科の大きな特徴になっていますが、様々な場所から様々な人々を院生として迎えてきました。どんな指標をとるにしても、これほど多様な院生で構成されている研究科は他には見当たらないのではないでしょうか。語弊があるかもしれませんが、本研究科には「濃い」院生が、言いかえると、背負っているものも賭けているものも大きな院生が多いような気がします。それだけ本研究科では、教員もまた学問研究の特別で独特な厳しさと悦びを経験することになります。

本研究科発足から五年を過ぎて、学術博士号を取得して巣立っていく院生も増えてきました。総数はまだ少ないのですが、各種研究機関に新たに着任する人も出るようになってきました。別の研究機関・公共体・企業に所属しながら、あるいは、各種の地域活動体・市民運動体を担いながら学術博士号を取得して改めてそこでの活動の糧とする人も出るようになってきました。本研究科での経歴や経験を活かすべく別の場所に移動していく人も出るようになってきました。発足当初は受け入れに専念せざるをえない面がありましたが、これからはますます、有意義な送り出し方を切り開いていかなければなりません。

本研究科はその名称や科目編成にも示されているごとく、近年の大学院政策の人文社会系への初めてに近い適用例として創設されました。別の言い方をするなら、1980年代の米国で始められた理系の研究開発体制を人文社会系にも適用する試みとして創設されました。しかし、1980年代当時にも、心ある研究者は、流行の研究開発体制は理系においてさえ多くの問題点を生み出していると指摘していました。現時点では、そうした問題点は人文社会系では別の形で現われ出ていると指摘することもできます。それに限らず、ご承知のように、近年の大学院政策に関しては多くの問題点が指摘されており、早晩新たな改革を外部からも迫られるはずです。またスクラップ・アンド・ビルドの繰り返しになるわけですが、そうではあっても、その限りにおいても、本研究科が果たすべき役割は大きいと言えます。

とはいえ、少し視界を広げて言うなら、高等教育政策はいつの時代にも幾多の問題をかかえてきました。入口問題にせよ初期教育問題にせよ授業運営問題にせよ自主研究問題にせよ教員院生関係問題にせよ就職問題にせよ奨学問題にせよ、結局のところ、昔も今も同じ問題を別の形でかかえきたとも言えます。だからということで、諦観も達観もできるわけではないのですが、少なくとも研究者たる者は、視界を広げて冷徹に事態を認識しておく必要はあります。場合によっては、近年の政治経済の変動の典型例として研究対象の一部に強かに繰り込んでおく必要もあります。

さて、大学院は研究するところです。本研究科は、先端的かつ総合的に研究するところです。先端的で総合的な学術の研究とは、量的にも質的にも既存の学問で行なわれている以上の仕方で、またそれ以外の仕方で研究するということです。だからこそ厳しいし、だからこそ悦ばしいのです。
とはいえ、私たちは、研究だけに全生活と全時間を捧げるわけにもいきません。生理的・物理的に不可能だからというだけでなく、研究生活だけの人生がありうるとしても、それはどこか奇怪なものだからです。そうであればこそ、研究者たらんとする者は、昔の言い方では理論と実践の対立、少し前の言い方では事実と価値の対立、今の言い方では研究と現場の対立、穿った言い方では余暇(研究用の)と余剰(余計者の)対立などのために、苦しみ苦しめられることにもなります。研究方向の迷いや進路方向の迷いの根底にはそんな対立が隠されています。高等教育政策の迷走の根底でもやはりそんな対立が効いているはずです。

ここで私に言えることは二つだけです。一つは、対立の存在を自覚して徹底的に苦しむべきだということです。そこを潜り抜けていない研究は、研究としても取るに足らぬものであると私は思っています。もう一つは、ここは研究する場所なのですから、対立の存在を研究においてこそ活かすべきだということです。人間は苦しめばたぶん賢くなります。大学院は、その賢さを研究に結実させるべきところです。とはいえ、当の対立を既成学問内部で設定されてきた対立軸に投射するだけでは足りません。それだけでは研究者の自己保身にしかなりません。本研究科ではその先を目指してほしいのです。 大学院は、大なり小なり背負っているものを研究に賭けるところです。もちろん、研究なるものが賭けるに値するものであるのかは疑わしくなることはあります。しかし、賭けるに値する研究を創り出すことこそが研究者の責務であると銘記すべきなのです。

研究科長 小泉 義之 『履修要項・講義概要』より

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